新発田市総合型地域スポーツクラブ とらい夢
伊藤良裕 坂井雅行
新発田市総合型地域スポーツ今年もまた熱い夏がやってくる。大会期間中熱戦が繰り広げられる野球場。主役は選手たちではあるが、その背景には陰で支えるさまざまな人たちの思いが詰まっている。野球場のグラウンドキーパーもそのひとつ。球場がなければ試合は開催されないし、素晴らしい環境が整っていなければ安心・安全なプレーや好プレーも生まれない。数々のドラマは職人たちの丁寧な仕事の賜物なのだ。
ある日の高校野球の試合中。トンボ掛けや足踏みなど、これでもか、と最後の最後まで入念にグラウンド整備をするスタッフの姿があった。「私の頭の中にあるのは、仕上げのブラシ以外は機械を極力使わず、手作業が基本。どんな時でも手でならして、ライン引きも必ず自分たちがやってから球場を使用してもらっています。特にライン際には気を使いますね」と、『手仕事』への信念を貫く施設管理マネジャーを務める坂井。決して妥協しないプロの仕事に徹している。野球の中でも「高校野球は特別。球児たちが一生懸命プレーできる球場をメインとして考えています」と豪語する。そう話すのには理由がある。五十公野公園野球場(新発田市)が完成した1992年。「最初は全く野球のことは知らず、正直、右も左も分からなかった。そんな中、当時、地元の高野連関係者にアドバイスをいただきながら一緒になってグラウンド作りを行いました」。
いかにしてベストなグラウンドを作るか。コーヒーメーカーに土と砂や水を入れて、どの配合が乾きやすいかなどを徹底的に探求。実際に甲子園に訪れたほか、テレビ中継は欠かさず見て研究する日々を送った。さまざまな研さんを重ね、弛まぬ努力の成果が今日のグラウンドを築き上げている。
その肝となるグラウンドの土は、関東方面から仕入れる火山灰の黒土を使用。「雨が降ると大切にシートを掛けて保管していても湿気などで固まる。そのままの状態で新しい土をグラウンドに入れても、これまでの土とは馴染まず分離してしまう。そこで砕いて砂の状態にしてから入れるんです。その作業を一手に担ってくれているのが伊藤さん。まさに縁の下の力持ちです」と坂井は力説する。一輪車に入れて数日間天日干しをした後、土を砕き、ふるいにかけて砂状に仕上げる。伊藤が続く。「土を砕くのは作業をしやすくするため。塊だとグラウンドに入れてもほぐさないといけないですから」。取材当日は、雨が上がったばかり。少々ぬかるんだ場所に新しい砂をまくと一気にグラウンドの土と同化し、どこに砂を入れたか分からないくらい完璧に馴染む光景を目の当たりにできた。
現場スタッフは8人。30代から60代の少数精鋭で野球場をはじめ、周辺の陸上競技場、多目的グラウンドなど、五十公野地区の屋外体育施設の管理を全て担っている。「どの施設もそうですが、雨が降った後のグラウンドの作り方が一番気を使います。屋外体育施設は自然との戦い。雨の量、降り方、雨が上がった時の風や気温などを考慮。あとは長年の勘ですね。毎回、試合終了後はしっかりと丁寧に整備をしておかないと次がさらに大変になるんです」とベテラン職人の2人は笑う。球場ではマウンドやバッターボックスの土が掘られた部分を埋め、ライン際も丁寧に整備。グラウンドを平らにするため、高い場所から低い場所へ。慣らし方にもこだわる。
「思い出はこの球場で行われた高校野球の雨の開会式(2004年夏)と決勝戦(2006年夏)。学生時代や早起き野球をやっていた経験や野球に対する思いが今の仕事に生きているかもしれません。常に綺麗な状態で使用してもらいたいと心掛けています。これからも手仕事で『きちんとできる野球場』という伝統的なスタイルを守り続けていきたいです」(伊藤)。「以前は地元の新発田農業の試合があると、球場に試合経過の問い合わせの電話が鳴り止まない時もありました。ここの球場は水はけがいいし、安心してプレーできるから、と各学校の関係者に言ってもらえるのが一番うれしいです。手仕事という信念を曲げずに貫いてきたことは間違っていなかったのかなと思います。安心、安全なグラウンドで精一杯プレーしてもらうことでいいパフォーマンスが生まれるんだと思います」(坂井)。今夏も「いい条件で試合をしてほしい」と2人はグラウンドキーパーを代表して球児たちにエールを送る。
(「Standard新潟」2019年6-7月号掲載) 文・撮影 わたなべまさひこ