新潟県高等学校野球連盟が提唱した球数制限をめぐる議論は、日本のスポーツ界全体を巻き込んだ議論になった。議論の中心にいた富樫信浩は、議論を球数制限ばかりでなく、もっと大きな渦にして、野球界に変革をもたらそうとしている。
頓所理加は、野球が好き、野球がやりたいという思いから、12年前より女子野球の普及に取り組み、新潟県の女子野球を大きく成長させてきた。
2人に、それぞれの立場から、野球に対する熱い思いを語ってもらった。
―長年、高校野球に携わり、現在は、新潟県高等学校野球連盟の会長を務める富樫先生。新潟県女子野球の開拓者として12年前から活動し、現在は、新潟県女子野球連盟の会長を務める頓所さん。2人の接点はたくさんあったと思いますが、そもそもの出会いは、どういうことだったのでしょうか。
頓所 「女子野球連盟はまだ3年ですが、女子野球の取り組みを始めて12年になります。だんだんと野球関係者の会合に呼んでいただくようになって、富樫先生にもご挨拶させていただけるようになりました。
印象に残っているのは、2016年のNIIGATA野球サミットの時のことです。サミットのことを知って、『こんなに良い活動があるなら、ぜひ女子野球も呼んでいただきたい』。そこで、思い切って、NYBOC(ニイボック/新潟県青少年野球団体協議会)に連絡をしました。『後ろの方でいいので、椅子をひとつ用意していただけませんか』って。
そうしたら、『どうぞおいでください』と言っていただいたので、出かけて行ったら、壇の上に席があった(笑)」
富樫 「新潟は、『みんなでやろう』というのが根底にあります。みんなでやれば、いろいろな角度から物事を見ることができます。頓所さんは、お母さんの視点を持っていますから、是非、輪の中に入って、発言していただきたいと思ったのです」
頓所 「せっかく女子野球が来てくれるのだったら、来賓で来てもらおうと、NYBOCの富樫会長が言ってくださったと聞きました。まだよちよち歩きの女子野球をそんなふうに言っていただいたことが、とてもうれしかった」
まずはNYBOCの取り組みがあった。
―昨年12月に、高校野球春の新潟県大会で球数制限を実施すると発表してから、日本高野連の反応、球数制限の実施見送り。一連の動きをどのように捉えていますか。
富樫 「球数制限の前に、新潟県では、NYBOCの取り組みがあったのです。いきなり球数制限が出てきたわけではありません。まずは、NYBOCのことから話をしましょう。新潟県内には、いくつかの野球団体があります。
それぞれの団体がそれぞれ熱心に活動しているわけですが、同じ野球に携わっているのだから、情報交換をしながら、親交を深めて、みんなが共通の認識を持って取り組めることはないだろうかと考えた時に「障がい予防」というテーマがあったのです。
それで、私が高野連の理事長(08年〜11年)をしていた時に、中体連の専門部長だった石川(智雄)さんと力を合わせて、「障がい予防」をテーマにして、県内で青少年の野球に関わる全ての団体(新潟県中体連軟式野球専門部、新潟県野球連盟学童部、新潟県スポーツ少年団、リトルリーグ、リトルシニア、ポニーベースボール、ヤングベースボール、新潟県高野連)が連携することになったのです。それがNYBOCです」
指導の現場と医師が連携する。
―選手の健康を守ることは重要だという認識は同じだったということですね。
富樫 「例えば、選手が『肩が痛い』と言ってきた時、現場の指導者は、『肩が痛くても、走ることはできるだろう』と考えます。ところが医師は『練習を休め』と言います。選手は戸惑いますね。どうしたらいいのか分からなくなる。
選手の健康を守り、障がいを予防するためには、まず指導の現場と医師が同じテーブルに着いて、共通の認識を持つ必要がある。そう考えて、新潟リハビリテーション病院の山本(智章)先生の協力をいただいて『野球手帳』を作りました。『野球119番』というケガや身体についての質問や検診のできる仕組みも作りました」
野球に携わる人みんなの指針「新潟メソッド」
―「野球手帳」の発行が年5月。その後、NYBOCでは、年1月に「新潟メソッド」を発表しています。
頓所 「以前、学童野球の指導者を年くらいしていたのですが、その時にこれ(「野球手帳」)があれば良かったなと思っています。当時の指導者の感覚だと、子どもたちが『痛い』と言ってきても、『頑張れ』としか言えなかった。
指導者は、頑張ることが、チームを強くし、選手のためにもなると信じているから、『頑張れ』と言って励まします。野球界ってずっとそうやってきたんですよね。けれども、今は、以前と比べ物にならないくらい試合数が増えていて、かなり状況が変わっています。
指導者をしているころ、このまま選手を 使っていて、大丈夫なのかなと思うことがありましたが、何も言えませんでした。あの時、お医者さんとチームの橋渡しをする『野球手帳』があったら違っていたと思うんです。そしてさらに『新潟メソッド』には保護者に向けたメッセージですとか、野球少年をどう導いて行ったらいいのかが書いてあります。野球に関わる人たち、みんなの指針になるものを作っていただいたと思っています」
球数制限にはバックボーンがある。
富樫 「『野球手帳』の成果として、選手の健康管理、障がい予防に対する共通認識はずいぶん進みました。そうすると次に『スポーツ本来のあり方はどこにあるのだ』という大きなテーマが出てきました。
『野球手帳』の表紙には、『肩、肘の故障を予防して甲子園を目指そう』と書いてあります。『新潟メソッド』には、『次代を担う野球を愛する青少年たちのために』と書いてあります。明らかにテーマが大きく、本質的なものになっています。それは、野球に関わる人たちが、選手のために、共通認識を持とうという取り組みを始めた成果なのです。
このような取り組みは全国的に見てもあまりないことだと思います。新潟はプライドを持って、大きなことをさらに進めていこうと、『始めよう!楽しもう!続けよう!』というスローガンを掲げて、「21C型穂波(ニイガタほなみ)プロジェクト」が始まり、NIIGATA野球サミット2016の開催、『新潟メソッド』の作成につながりました。
今、新潟県高野連は、球数制限のことばかり言われていますが、新潟県として、障がい予防やスポーツ本来のあり方といったテーマに何年もかけて取り組んできた結果として、球数制限があるのです」
頓所 「NIIGATA野球サミット2018で球数制限を実施することが発表された時、富樫先生、島田(修)先生、石川(智雄)先生、山本(智章)先生が取り組んで来られた姿を近くで拝見していたので、『あ、一歩踏み出した。すごいな』と思いました。
そろそろ野球界全体として考えていかなければならないことがあって、それを誰が言い出すのだろうという中、そろそろ間に合わなくなるぞというタイミングで球数制限を言い出して、『(野球界を)変えませんか』と呼びかけたかったのだと思いました」
やってみなければ分からない。
―新潟が春の大会から実施するとした球数制限は、結局、実施できませんでした。
富樫 「球数制限は、最初から春の大会限定だと言っていました。春の大会は、全国大会にはつながらない大会ですから、検証する場として適当だと思ったのです。『連投過多』など他の問題もありましたが、まずは球数制限に絞って、データを集め、検証するつもりでした。やってみなければ何も始まりません。どうせやるのなら、早いほうがいい。
連投過多についても連投を避ける日程は 組めると思っていました。この春の大会は、準決勝、決勝は連投が避けられない日程になりましたが、加盟校にはそのように話をして、事前に了解をいただいていました。新潟は連投過多についても取り組みを始めているのです。
それでも日程は、天候によっては、どうしても連投が避けられない事態になることが考えられます。個人的には、春はトーナメント戦をやめて、夏の大会につながるリーグ戦にするのが望ましいと考えています」
頓所 「まだチーム数が少ないからできるのかもしれませんが、女子野球はリーグ戦が多いのです。負けても次があるということになると、高校野球が変わりますね。もっとも、高校野球は負けたら終わりで後がないというところに魅力を感じている人も多いかもしれませんが…」
一番大切なのは選手の将来
富樫 「悪いことばかりではないと思いますが、そういうイメージがありますね。だから、『熱投200球』なんて見出しが付きますし、選手も肘や肩が痛くても「いけます。やらせてください」と言います。
『選手がそう言っているのだからいいではないか』、『選手の意見をよく聞いて、尊重しよう』という意見もありますが、私たち大人の役割は、選手の将来第一主義に立って、選手の将来を身体的健康面から、精神的な成長まで考えることなのだと思います。そこが私たちの根本的な考え方なのです。そこを理解していただきたいのです。
無理をして故障をすれば、選手としての 将来が失われます。芽を潰してしまうような考え方はしてくれるなという思いです。選手の将来は指導者が守らなければなりません。現場の指導者が第一に考えなければならないのは、子どもたちの将来なのです。
球数制限については、新潟県高野連が日本高野連にけんかを売って、返り討ちにあったというふうに面白おかしく伝えられた部分はありましたが、新潟が声を上げたことで、日本高野連には「投手の障がい予防に関する有識者会議」が設置されることになりました。これは、次の一歩につながるのではないかと思っています」
球数制限は議論の入り口。
―有識者会議13人のメンバーの1人として、議論に参加することになりました。
富樫 「会議の名称(『投手の障がい予防に関する有識者会議』)からすれば、投手の障がい予防について話し合われるのだと思いますが、私たちは高校野球のあり方、スポーツのあり方について一石を投じたつもりなので、球数制限にこだわらず、もっと広くて、深くて、大きな議論ができればいいと考えています」
―けれども、やはり入り口は球数制限になります。
富樫 「それはそうです。まずは球数制限の議論が選手たちの健康問題につながっていけばいいと思っていますが、これまでの流れからすると、『勝敗を左右するルールの変更』について議論することになってしまうのではないかと危惧しています。
球数制限の導入を発表した時、そんなことをしたら、待球戦法や、ファール打ちをして、エースピッチャーを早く降板させようとするチームが出てくるのではないかという声が指導の現場からも上がりました。それは、『スポーツマンシップ』という観点からすると、どうなのでしょう。それに『選手の健康を守ろう』という話をしているのですから、そこを出発点にした議論でなければなりません。『勝ち負けに関する作戦の話』は別次元の話ではないでしょうか。
だいたい球数制限は、まだ取り入れられていない制度です。どんな変化があるのか、誰にも分かりません。だからデータを取って、検証しようと言っているのです。複数投手を育成しなければ戦えない事態は、マイナス面ばかりが指摘されますが、選手の可能性を引き出す上でプラスになることもあるかもしれません。だから、やってみたほうがいい。間違っていたら、やめればいいのです」
頓所 「全軟連(全国軟式野球連盟)は、2月の評議員会でこの夏の学童野球の全国大会で、1日あたりの投手の球数を球以内にすることを決めました。1年後は地方大会もそうなります。それだけでなく、練習での球数や練習の時間、練習試合の数のことまでガイドラインで決めています。全軟連は素早く動いたなと思います」
学童野球だからこそ、楽しむことが重要。
富樫 「学童野球のあり方が最も重要だと思います。中学校の指導者に聞くと、小学生の時、すでに肩、肘に故障を抱えている選手がかなりの数いるそうです。学童野球の指導者の育成、資格制度を整備する必要があると思っています」
頓所 「学童野球の指導者の中には、『野球手帳』、『新潟メソッド』を100%やっていくのは、『現実的には難しいよね』とおっしゃる方もいます。それはそうなのかもしれない。けれども、今、これをやらなかったら、そのうちに野球をする子どもがいなくなってしまうと感じるのは、私だけではないはずです」
富樫 「学童だからこそ、勝ち負けではなく、楽しむことを主眼にした取り組みをしていただきたいものです」
選手数の減少は深刻。
―「新潟メソッド」の冒頭に「青少年の野球を取り巻く環境は今」というページがあって、「中学校の野球部員数の割合は年々低下し、学童の野球チーム数も目に見えて減少しています」とあります。
頓所 「学童の選手は、私がコーチをしていた10年前に比べて、半分くらいになっているのではないかと感じています」
富樫 「私は、父の影響で野球を始めました。私が子供のころは、まだあちこちに空き地があって、友だちが数人集まると、すぐに『三角ベース』が始まる。そういう時代でした。今の子どもたちには、そういう環境はありません。選択肢も増えました。野球が、昔ほど身近なスポーツでなくなっていることにも競技人口が減っている原因があると思います。
しかし、問題はそれだけではありません。野球はこれまで、とても恵まれていました。恵まれていたがゆえに、時代に合わせていくための改革が遅れたのではないかと思っています。例えば、夏の大会でタイブレークの採用が決まるまで、3年かかっています。遅すぎます。競技人口が減っている今、いろいろなことを大胆に、スピード感を持って変えていかないと野球は取り残されて、衰退してしまう。私はそういう危機感を持っています」
頓所 「野球って、ずっと引っ張ってきてくださった方たちがいて、その方たちの時代は、本当にいい時代だったのだと思います。だから、どこかで『まだ大丈夫』って思っていらっしゃるのかもしれません。でも、今の世代は、このままでは野球というポーツは支持を失ってしまう、何とかしなければならないと思っています。球数制限の議論はいい機会になるのではと思って、期待しています」
富樫 「ここで選手のための改革ができなければ、野球は、子どもたちや、子どもたちの親に見放されてしまうかもしれません。そうなれば、野球人口はますます減っていくでしょう。『新潟メソッド』の中には、『楽しもう』という言葉が入っています。これが重要なのです。『楽しもう』はスポーツの原点なのですね。野球界は、その部分がすっぽり抜け落ちてしまっているような気がします」
増え始めた女子選手。
―学童野球では女子選手も増えてきました。これはうれしい変化なのではないでしょうか。
頓所 「私は、小学4年の時、甲子園でプレーする高校生を見て、『私もあのグラウンドに立つんだ!』と思いました。けれども当時は、『野球をやりたい!』と言うと、『女の子はソフトボールだよ』と言われる時代でした。私はずっと野球がやりたかったけれども、中学、高校ではソフトボールをやりました。今、学童野球のチームには女の子が数人いるのも珍しいことではなくなりました。大きな変化だと思います。
―高校野球夏の大会が始まりますが、残念ながら高野連は女子の公式戦出場を認めていません。
富樫 「新潟県の加盟校には、少ないですが、女子部員がいます。彼女らは、現状のルールでは公式戦に出場することはできません。彼女らの思いは理解できますから、昨年の県大会の開会式で入場行進の先導をしてもらいました。また、甲子園では試合前練習への参加が可能になっています。だんだんと様子が変わってきているのは確かです」
女子にとっても甲子園は特別な場所。
頓所 「高野連さんは『女はダメ』と言いますが、『いいよ、いらっしゃい』と言ってほしいですね。私たちだって、男子にかなわないというのは、分かっています。けれども、彼女らがどうして背番号を着けているかというと、やっぱり、それでも甲子園に行きたいからなのです。男子にとって、甲子園が特別な場所であるように、女子にとっても、甲子園は特別な場所なのです。
女子が甲子園に出場することは、簡単ではないと思いますが、新潟にも高校女子硬式野球部がありますし、全国高等学校女子硬式野球連盟が1997年から、全国大会を開催しています。第1回の参加校は5校くらいでしたが、21回目の2018年は28校が参加しています。そこにもっと光が当たるようになればいいなあと思います。いずれ各都道府県から代表が出てくるような大会にして、女同士で戦えるようになればいいと思います。
大人の女性に話を聞くと、『本当は野球をやってみたかった』という人は多いのです。なんとなく『女子はソフトボール』という固定観念があって、それで自分のやりたいことを封印してきた女子はたくさんいます。だから、今、女子は野球ができるだけでうれしい。女子野球はまだまだこれからですけれど、みんなイキイキと野球を楽しんでいます。
そこへ行くと、男子は野球ができるのが当たり前だから、野球ができるというワクワクが少ないように見えます。それどころか、高校生くらいになると、どこか苦しそうに野球をやっている選手がいます。彼らは野球を楽しんでいるんでしょうか」
野球をずっと先の未来まで。
富樫 「大人になっても野球を応援してくれる―そういう大人を増やしたいと思っています。そのためには、少年期、青年期に野球っていいものだという思いがなくてはなりません。キツかった、苦しかった―野球を通じてそんな思いしかしていなかったら、野球を楽しむ大人は育ちません」
頓所 「最近は、団体スポーツよりも個人スポーツの方が人気です。いろいろ理由はあると思いますが、野球には個人スポーツの良いところと、団体スポーツの良いところの両方が入っているスポーツだと思います」
富樫 「コミュニケーションすること、力を合わせて物事にあたること、学校教育で教えなければならないことが野球には詰まっています。スポーツというのはいいものです。その中でも野球は特に素晴らしいんだと私は言いたいのです。だからこそ、野球をずっと先の未来まで、みんなが楽しめるスポーツにしたいのです」
富樫信浩(とがし・のぶひろ)◉1961年2月、村上市生まれ。村上高を経て、二松学舎大文学部卒業。高校時代からポジションは捕手。大学3年から一塁手。大学時代は東都大軟式野球2部、3部で活躍。ベストナイン3回。84年、新潟県教員に採用。91年、柏崎高監督として、県大会準優勝。95年、六日町高、2001年、十日町高で部長として甲子園出場。08年、新潟県高野連理事長に就任。新潟国体の高校野球競技を指揮。地区割の再編と連盟内の組織改革にも取り組んだ。18年、新潟県高野連会長。現、新潟東高校校長。
頓所理加(とんしょ・りか)◉埼玉県さいたま市生まれ。小学4年の時、テレビで高校野球を見て、野球が大好きになった。中学、高校時代はソフトボール部で活躍。短大卒業後、結婚を機に夫の実家がある新潟に移る。2004年、地元少年野球チームのコーチに就任。08年新潟に女子野球を広めるため、BBガールズ普及委員会を発足させ、16年には新潟県女子野球連盟の発足にこぎつけた。自身も女子軟式野球チーム「ヒロインズ」でキャッチャーとして活躍している。
(「Standard新潟」2019年6・7月号)