女子・浜浦ウィンドガールズ、男子・春日山モルツ U12新潟県バスケットボール大会で優勝

バスケットボール 2020/12/07
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text : inoue kazuo
井上 和男

 今年で52回を数える全国ミニバスケットボール大会の県予選を兼ねた「Honda Cars 長岡カップ 第42回新潟県U12バスケットボール大会」が11月28・29日、12月5・6日に開催され、地区予選を勝ち抜いた男女各16チームが栄光の頂点を目指して激しい戦いを繰り広げた。
 なお、この大会の模様はネットでライブ配信され、2021年1月31日までアーカイブでも視聴できる(有料・通期700円税別/一部試合除く)。
詳しくはHOISPOLIVE ホイスポライブ。

https://hoispolive.jp/
 
 
「必勝」、そして新たに込めた「勇気」―浜浦ウィンドガールズ

 
 新潟市のチーム同士の対戦となった女子決勝は、過去3回優勝している葛塚ウイングスを破り、浜浦ウィンドガールズが3年ぶり2回目の頂点に立った。
 

 
 立ち上がり第1Qは互角の展開だったが、第2Qでキャプテン平田乃愛(6年)や加地百花(5年)が持ち前の運動量でかき回して得点を重ね、23-13で前半終了。この貯金を生かして葛塚ウイングスの後半の追い上げをかわし、逃げ切った。
 「とてもうれしいです。(コロナ禍で)春の大会がなくなり、秋のこの大会に懸けていました」とは、決勝で得意のミドルシュートをいくつも決めたキャプテンの平田乃愛(6年)。5番を背負う藤村さくら(6年)は、前日の準決勝(対アストライアMBC)を中学受験のため欠場。「昨日の分も、今日は頑張れた」とスタメンでチームを勢い付けた。
 

遠めの位置から積極的に狙い、大事な場面では確実に入れた平田


第4Q残り1分7秒、加地が決めて36-27。この得点が効いて、その後の葛塚の反撃も届かず


 
 試合終了後、コートとベンチのメンバーがうれし涙を流しながら輪になった。肩を組む選手それぞれの手の甲には「必勝」「勇気」と書かれた文字。左手の「必勝」は3年前に初優勝した当時の6年生らが入れて戦い始め、チームの伝統になった。右手の「勇気」は今大会2回戦の新発田キッズ戦から入れ始めた。
 文字通り優勝候補相手でも臆せずに戦い、終始圧倒。そしてついに頂点まで上り詰めた。2020年、浜浦ウィンドガールズに新たな伝統が加わった。
 

「勇気」と「必勝」を手に、全国大会でも飛躍を期す


負け続けた相手を破り、創部10年目で初優勝―春日山モルツ
 

 
 「本当によく頑張った」。選手一人一人にねぎらいの声を掛けた春日山モルツ(上越市)の沼陽介コーチ。その目には光るものがあった。創部10年目での初優勝、コロナ禍での不自由な練習環境にもめげなかった選手たち。さまざまな思いが駆け巡った。
 

 
 早小JBC(新潟市)との決戦を前に、沼コーチは「いい試合になればいいな」と希望的な思いを抱いていたという。今年、新型コロナウイルスによる自粛期間が明けた後、早小JBCとは練習試合で2回対戦していずれも「大差で負けていた」(沼コーチ)。昨年のこの大会1回戦でも敗れていた相手だった。苦手意識が芽生えたとしても仕方がない。
 しかし対戦したことで相手の研究もできた。「(マークした相手は)左からのレイアップシュートが苦手だったので、(コーチからは)左へ行かせるようにと言われました」と、170㎝の大型選手に対した小田島葵(6年)。攻撃では体を張ったポストプレーとリバウンドでチームを鼓舞した。
 

センターの小田島は攻撃でもチームをリードした

 

全員がしっかりと役割を務めたことで、前半を予想以上の内容で折り返せた


 
 練習試合では前半で勝負をつけられていた。この日の決勝は前半を粘って「後半勝負」(沼コーチ)の作戦だった。それが前半を終えて22-12と、10点もリード。点差以上に心に余裕が生まれた。第4Qで差を詰められてもチームに焦りはなかった。
 

最終盤、3点リードの残り11秒。前田啓太が得点して粘る早小JBCを突き放し、勝負は決した


 
 「県大会、地区大会、戦ったチームのその思いを背負って戦いたい」。沼コーチは全国大会への抱負を語った。昨年はコロナ禍で中止となった全国大会。今年は3月下旬に東京・代々木(代々木競技場第一体育館)で開催が予定されている。
 
 
 敗者も、勝者も、流す涙に今年は特別な思いを含んでいた。
 
 厳しさを増すコロナ禍にあって今大会の実施は直前まで危ぶまれていた。選手やチームスタッフは試合ができることを信じ、さまざまな感染症防止対策の中で練習を重ねてきた。日々の練習場所へ保護者の入場を禁止するチームすらあった。
 
 今大会も、会場の消毒作業補助のために1チーム5名まで保護者が帯同・入場を許されただけで、無観客開催。チームはスタッフ・選手全員が試合日ごとに健康管理シートを提出し、会場入りは時間を区切って順番に行われた。試合コートへの入退場の動線すら厳しく区別された。
 
 「バスケットボールがしたい」。ただそのためだけに選手はさまざまな制約も我慢し、耐えた。そして、試合ができるとその喜びを爆発させ、笑い、泣いた。大会関係者、チーム関係者、保護者…子どもらにプレーの場を与えることができた大人たちは安堵の胸を撫で下ろした。
 
 いつもの年以上に、携わる全ての人々が一体となった大会だった。

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