ボランティア アスレチックトレーナー/髙野友美 チームと選手と、自分のため。だから笑顔で続けられる。

野球 2019/10/30
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編集者

プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグで戦う新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(以下BC新潟)のベンチ。ここに、練習中も試合中も、選手の動きに視線を走らせる女性がいる。髙野友美。BC新潟の選手を支えるアスレチックトレーナーの1人としてチームに力を注ぐ。ボランティアとして関わり始めて今年で5シーズン目を迎えた(2019年春 取材時)。

Profile

髙野友美(たかの・ゆみ)◎1978年(昭和53)5月3日生まれ。長岡市(旧三島郡越路町)出身。長岡大手高とアップルスポーツカレッジ(ASC)で野球部のマネジャ ーを務める。ASC在学中からアスレチックトレーナーとしてさまざまなスポーツチームに帯同し、発足当時のアルビレックス新潟レディース、国体参加サッカーチーム、ラグビークラブチームなど経験多数。現在、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブのボランティアアスレチックトレーナー。長岡市の関整骨院勤務。

 

「選手の性格や状態は髙野さんが一番よく知っていますよ」。ある球団スタッフに髙野について尋ねると、そんな言葉が返ってきた。

 

アスレチックトレーナー(以下AT)の役目はケガの応急処置だけではない。選手の身体に触れてたまった疲れの原因を探り、ストレスや痛みを和らげ、骨格や筋肉を意識しながら故障予防のアドバイスをする。チームにとっては、戦力を支える基盤作りに欠かせない存在であり、プレーヤーにとっては自らの選手生命を預けるキーパーソン。チームと選手との信頼関係がなければ、ATの仕事は始まらない。

 

「選手は十人十色なので、例えば、悩んでいる時でも野球の話をした方がいい選手もいれば、野球以外の話をした方がいい選手もいます。いかに信頼関係を築くかは、その人の特性をつかんだ上でのコミュニケーションしかないと思います」。つまり、一言でいうと重責なのだが、髙野は笑みを絶やさない。

 

デーゲームを控えたとある日のスタジアム。髙野は、選手とそろいの背番号入りユニホームを身に着け、試合前のミーティングからその後のアップ、用具の片付けも選手たちの輪に入って行動していた。選手のコンディションを確認するためだ。

しかし、走り方や歩き方を見て「気になる動き」を見つけたとしても、次にどう対応するかは、選手のタイプ、成績、今後の予定、抱えている問題などによって距離感を細かく変えるという。

例えばこんな具合だ。雑談好きな選手には世間話で軽やかに応え、痛みを我慢してしまう選手には積極的に尋ねる。一方、調子を聞くと逆に気にして崩れてしまう選手には何げなく寄り添う。少しでも不安があると髙野の元へ飛んでくる選手には、訴えてくるまで待つ。

 

「故障する前からしっかりケアすることで、痛めてしまっても軽く済む場合があります。選手が長期離脱しなければ、いろいろな作戦や展開を狙えるようになって、チームの調子も上がってきます」と髙野が語るように、ATが目指しているのはチーム戦力を削いでしまう選手の長期離脱を防ぐこと。特に若い選手には、疲れをためない、痛みを抱えないというプロ意識を持ってもらうことも大事だ。

また、選手がフィジカルについて興味と知識を持てば、故障を防ぎつつ新潟で最大級の活躍ができ、その後のNPBでも長くプレーできる可能性が出てくる。さらに、指導者の立場になったときも、今までの経験が若いプレーヤーを守ることになるはずだ。

そんな未来を思い描きながら、髙野は髙野ならではの「間合いの取り方」で選手に接する。その距離感は、ケアをする時も変わらない。

 

とはいえ、髙野のやり方は選手や野球に対する感情的な何かに軸足を置いているわけではない。プロ野球の世界では珍しい、ベンチ入りする女性としての何かに即しているわけでもない。あくまでも過酷な勝負を突き進むための、チームを構成するパーツとして機能している。そんなストイックさが、周囲の信頼を得ている理由の1つなのかもしれない。

 

野球好きだった祖父の影響もあって、小学生のころ、テレビの「熱闘甲子園」で見たマネジャーに憧れた。長岡大手高校では念願だった野球部に入部。日々の厳しい指導にくじけそうにもなったが、「辞めることが悔しくて」マネジャーとして3年間をやり通した。さらにATを目指して進んだアップルスポーツカレッジ(ASC)でも野球部マネジャーを経験。他人の意見をくみ取り、それをアウトプットするマネジャー時代の経験が実社会に出てから生きている、と髙野は振り返る。

 

20歳のころ、ATの現場実習としてASCのサッカーコース(JAPANサッカーカレッジの前身)に関わり、卒業後もアルバイトをしながら研究生の立場で帯同。その後、2年間の非常勤講師を経て、長岡市の関整骨院へ就職した。BC新潟との関わりは、関整骨院に通っていた選手のケアから始まった。後に球団へ「ボランティアとしてチームに参加させてほしい」と応募。仕事などに支障がない範囲で、ホームゲームのみ駆けつけている。

 

ATとして歩み始めてから20年。今まで多くのチームに帯同できたのは、人との巡り合わせ、そして職場や家族の理解があったから。「選手のコンディションを整えた結果、監督がベストの采配をできれば最高です」と語る通り、故障した選手が自分のケアで立ち直る姿に喜びを感じる。と同時に、自分のやりたいことが存分にできる幸福にも素直に喜ぶ。だから1時間ぶっ続けでマッサージしても苦にならない。

自分が持っているATとしての力を可能な限り発揮したい。そんな、本能にまっすぐな部分も大事にできるから、続けられる。髙野は、ATとしてスポーツに関わる自分自身を、全力で楽しんでいる。

(Standard新潟/2019年6・7月号掲載)

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