祝・北京五輪銅メダル スノーボード/ハーフパイプ プロライダー冨田せな&るき 姉妹で妙高から2022年北京五輪へ アーカイブ記事

ウィンタースポーツ 2022/02/10
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text : inoue kazuo
井上 和男

スノーボードのハープパイプで、新潟から世界へ飛躍する姉妹のプロライダーがいる。
妙高市で生まれ育った冨田せな、るき。
共に全日本スキー連盟の強化指定選手としてナショナルチーム入り。
本来、日本がオフシーズンの時には海外へ出向いてトレーニングや大会に出場するはずだったが、
新型コロナウイルスの影響により先が見通せないでいる。
 
アスリートとして今できることに専念しながら、
2022年北京冬季オリンピックでの姉妹出場を目指す。

 

 
「楽しもうと思った」(るき)。USオープンで3位、堂々の世界デビュー
 
 スノーボード好きの父・達也の影響で二人とも3歳頃にはもう滑り始めていた。ジュニア時代から数々の大会で優秀な成績を収めてきたが、今春、姉が通った全日本ウィンタースポーツ専門学校(JWSC)に進学した妹に大きな栄冠が加わった。
 
 開志国際高校の卒業を前にした今年3月、世界最高峰の大会とされる『バートンUSオープン2020』の女子ハーフパイプ部門で3位になった。初出場で表彰台に上る快挙だった。今回で38回目を迎えたスノーボード界で最も歴史のあるこの大会は、招待選手しか出場が許されない。るきは、昨年12月から本格的に海外へ遠征し、FIS(国際スキー連盟)主催のワールドカップにも参戦。好成績を残したことで実力が認められ、USオープンの女子ハーフパイプ部門で16人の招待選手の一人に選ばれた。
 

 
 「ずっと出場したかった大会だったので、緊張はあったけど、楽しもうと思った」。予選となる準決勝は、歴戦のトップライダーたちの駆け引きには目もくれずに自らの滑りだけに徹して1位通過。2日後、予選上位6選手による決勝でも「クリーンな滑りを意識して」挑み3位をつかんだ。
 
 選ばれし者だけが出場する大会。尊敬、名声…見る者全てから注目を浴びたい者たちの承認欲求が渦巻く中で、初出場ゆえの“知らぬが仏”も手伝い、彼女は心を乱されずに冷静だった。試技3本中の最高得点で争われる決勝は、思うようなランができず2本目を終えて4位。最後の3本目、難度が高い習得したばかりの新技バックサイド900°(進行方向に反時計回り2回転半)をあえて封印し、表彰台を狙った。
 「ルーティーンの中で技を出せなかったことには悔いは残ったけど…」。新技を成功させれば優勝できたかもしれないが、実を取った。
 
 かといって無難に戦ったわけでもない。今大会は、前半と後半で大きさが異なる2つのハーフパイプがつながった『モディファイド(改造)ハーフパイプ』での開催。これまで以上にテクニカルかつアグレッシブな試合になることが予想されていた。
 
 るきがプロライダーの資格を取ったのは小学6年で、普通なら友達と遊んでいるのが楽しい年頃。「スノーボードをする友達と一緒に練習することが楽しいから」。そうやって培ってきた技術と心は、未経験のパイプを前にしても揺るがなかった。
 大きな大会で結果を残せば自信になる。世界のプロライダーの仲間入りもできる。それを見事に実現し、最高のシーズンになった。
 
 
五輪出場から一転、2季連続のけが。「何をやっているんだろう…」(せな)
 
 姉のせなは18年の韓国・平昌で開かれた冬季オリンピックに高校3年で日の丸を背負い、初出場で8位入賞を果たした。バートンUSオープンには一昨季まで3年連続出場し、初出場の17年には4位になっている。だが今大会の決勝当日、彼女は日本にいた。
 

 
 昨季、自身のシーズン2戦目となる12月22日、中国で行われたワールドカップ。決勝を前にした公開練習で転倒、脳震盪のため決勝を棄権した。帰国後に精密検査したこところ、強く脳が揺れることにより意識消失が起きてしまうびまん性軸索損傷との診断。3カ月間安静の大けがだった。後でコーチから聞かされたものの、当時の状況は記憶がないという。「どうなって転倒したか、公開練習の3本目に転倒したことすらも覚えていない」。この後のX GAMESやDew Tourといった大きな大会からも招待されていたが、全てを棒に振り、シーズンが終わった。
 
 「落ち込みました…」。彼女はこの前の年、18-19シーズンも開幕間際にけがをして、1シーズンを滑りきることができなかった。平昌オリンピックの栄光から一転、2季続けて満足のいく滑りができなかった。その間、ライバルやチームメートたちは前へ前へと進んでいる。自身は止まったまま。「何をやっているんだろう…」と自問し、後悔する日々。「置いていかれる。追い付くことはもうできない…」。
 
 大好きなスノーボードが、苦痛に感じた。競技生活を辞めることすら頭に浮かんだという。1日の中でポジティブな自分とネガティブな自分が何度も交互に出てきた。
 
 
食事も忘れて無我夢中で滑った日々。姉妹の意思を尊重してくれた父と母
 
 二人の両親は共に愛知県の出身で、スノーボードに魅了されて新潟の地に就を求めた。今も仕事をしながら、休日になると滑っている。
 せなの大けがについて尋ねた。「心配だが、危険なスポーツであることは分かっているし、けがは覚悟して送り出している。本人たちのやりたいという意思を尊重しています」と、母の美里。両親は、娘たちの海外遠征の際は成田国際空港(千葉県)まで見送りに行く。仕事などが重なってもどちらかが必ず都合を付けて行くという。「(何が起きても)悔いが残らないように」と、その心境を明かす。
 
 そんな両親に育てられたから、姉妹も幼い頃より肝が据わっていた。共働きの両親は昼食を持たせ、朝にゲレンデまで姉妹を送り届け、仕事を終えると迎えにきた。「でもずっと滑っていたから、帰りの車の中で食べたりしたよね(笑)」(せな)、「リフトに乗りながらポッケから出したお菓子を食べていたよね(笑)」(るき)。無我夢中で滑った。不安もなく、思い切り楽しんだ。 
 
 「ゲレンデに行けば誰かしら知り合いがいたから」(せな)。スキー場の従業員、スノーボード仲間が声を掛け、見守ってくれた。スノーボードを通して多くの人の目を意識し、多くの人と接することで豊かなコミュニケーション力がはぐくまれ、姉妹は大人へ成長していった。
 
 技術が上達するにつれ、姉妹の欲求も高くなっていった。近隣や県内のスキー場だけでなく、オフシーズンにはジャンプ台を備えた小布施QUEST(長野県)、屋内ハーフパイプのあるカムイみさかスキー場(山梨県)で練習し、シーズン中はハーフパイプを備えたスノーパークがあるスキー場まで一家で出かけることも。
 「ゲレンデに着いてすぐ練習する、というのはすごい大変。免許を取って自分で車を運転するようになって、当時の両親の大変さがよく分かりました」と、せな。
 
 小さい頃からスノーボード以外にも器械体操や水泳など、姉妹がしたいと言ったことを父と母はやらせてくれた。今回の大けがに際しても両親から「危険だからやめなさいと言われたことはない」(せな)。海外での試合を夜中でもライブ観戦し、試合後には必ずメールを送ってくれた父と母。それは自分にとって大きな励み。だからスノーボードが好きだ。
 
 
トップライダーの本能を取り戻した姉。世界の入り口に立った妹。一歩ずつ前へ
 
 USオープンの決勝に臨む妹に、姉は日本から声援を送った。
 「予選は見ていなかったけど、決勝に残ったことを知って“1位?うそ~っ”て。応援しようと思った。(3位になって)素直にうれしいと思えました」。
 そこから、当時は目を背けていたライバルたちが出ている他の試合も見ることができるようになったという。「自分だったらこうする、自分だったらもっとうまくできる、と考えながら」録画した映像を見ている。
 

 
 3月下旬、せなは雪上に復帰。スノーボードに乗った。3カ月間安静の診断から、予定通り。心も取り戻せたのろうか。
 空中に飛び出すエアは、ボトム(ハーフパイプの底)から男子のトップ選手で15メートルほど、実に5階建てビルの高さに匹敵するといわれる。女子選手でも10メートル以上になる。あんな大けがをした後に申し訳ないが恐怖心について質問した。「もちろんありますよ。でもそれ以上に、空中に飛んだ時の気持ち良さがたまらない」。
 
「かっこよく滑りたい」と中学1年でプロになり、やがて世界の舞台にも躍り出た。オリンピック、ワールドカップ、USオープン…世界の第一線で戦ってきたトップライダーの本能が息を吹き返した。
 
 
 せなは、5月にはアメリカで練習するはずだったが、新型コロナウイルスのために断念。夏に参戦予定のニュージーランドでのワールドカップも大会の開催自体が危ぶまれる。今は自重しながら、ウエートトレーニングで体力回復に努めている。
 
 世界への入り口に立ったるきも、さらなる飛躍を期してひたすら自主トレに励む毎日だ。「専門学校が始まってもしっかり授業について行けるように頑張ります」(るき)
 もどかしい日々が続くが、日本を代表するガールズライダーたちは目標に向けて一歩ずつだが、着実に前へ歩を進めている。
 
 
profile 冨田せな(とみた・せな/写真右)◉1999年10月5日生まれ、新潟県妙高市出身。石打丸山スキー場で行われたプロツアーで3位になり13歳でプロ資格を取得。2015年の全日本スキー選手権大会スロープスタイルで3位になり、ナショナルチームに選ばれた。翌年ハーフパイプに転向。18、19年の全日本選手権大会ハーフパイプで連覇。17年から3年連続出場したバートンUSオープンの成績は4位、8位、5位。ワールドカップ表彰台は18年に2位、19年に3位など。19年に全日本ウィンタースポーツ専門学校(妙高市)を卒業。160㎝。
 

 
profile 冨田るき(とみた・るき/写真左)◉2001年12月28日生まれ、新潟県妙高市出身。小学6年でプロ資格を取得し、17年に全日本スキー連盟強化指定選手となる。18年、新潟妙高はね馬国民体育大会高校生の部優勝。FAS スノーボードジャパンカップ2019優勝。PSA Takasu Super Pipe Sessions 3位。World Rookie Tour Finals 2019優勝。初めて挑んだ19-20シーズンのワールドカップでは第3戦から第5戦まで一桁順位を獲得(4、9、7位)、年間ランキングは10位。今春から全日本ウィンタースポーツ専門学校へ進学。158㎝。

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