たゆまない探究心とともに 剣士、命の砦(とりで)を作り続ける

その他 2020/07/06
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text : kuramoto mineaki
倉元 峰明

真和工業株式会社(剣道防具・面金製造会社)
長谷川治司 長谷川暢彦

金属加工で全国に名を馳せる三条市に、今や全国でも稀となった剣道の面金(めんがね)をつくる企業がある。独自の視点と発想から生まれた面金は武道具の歴史に新たな一ページを刻み、剣道界にはなくてはならない確固たる地位を築いていた。

 

 

工場内をところ狭しと吊るされ、次工程へと移動する面金

 

1969(昭和44)年。有人宇宙船アポロ10号が初めて月面に着陸したことを特集したテレビ番組から伝わる情報を興味深く見つめ、メモをとる一人の男ー。
真和工業株式会社創業者、長谷川治司(以下治司会長)。中学の頃から剣道に熱中し、進学した高校ではそれまでなかった剣道部を校長に直談判して同好会を立ち上げたこともある熱血漢の元に、彼が剣道経験者であると聞きつけた知人が、つくった面金を持って訪れた。聞けば面金づくりの仕事を一緒にしようとの提案。しかし、治司会長は一向に首を縦に振らなかった。「角張っていて、面紐が簡単に切れてしまうような面金でした。剣道のことを知らない人が作ったのだと感じましたし、自分だったらどこに創意工夫を凝らせばより優れたものになるか瞬間的にひらめいたので、お手伝いは出来ないと断りました」
治司会長は理想の面金を自分の手で作りたいと行動を起こす。まずは当時の定石通りどおり鉄でつくってみたものの、思うような強度が出せない。そこで思い出したのが、先の歴史的快挙を伝える番組だった。誇り高き先進技術を称える際に、繰り返しアナウンスされたチタン、マグネシウム合金、そしてセラミックという当時の最先端素材。治司会長は元来の探究心から、それらが今後どのように活用されていくのか思いを巡らせていたことが功を奏した。治司会長が懐かしげに新素材の開拓を振り返る。「当時、チタンと言えば航空機などにしか使われてなかった貴重で高価な素材で、地元三条にはどこを探してもありませんでした。そこで東京に出向き、チタン材を供給してくれるところを探し当てたのです。ちょうどメーカーも新しい分野への活用を模索していた頃だったのと、新しいことに挑戦しようとする熱意が伝わったようで、素材をはじめ様々な実験データを快く提供してもらいました」

 

長谷川治司(はせがわ・はるじ)
昭和13年5月26日三条市生まれ。三条実業高校(現三条商業高校)卒業後、東京の家電量販店経理畑を歩む。結婚を折りに帰郷し、真和工業を創業。面金の新素材探しにおいては、数百種にも及ぶ素材を取り寄せ実験を繰り返し吟味した。「夢中になっていた」ため、微塵の苦労も感じず、楽しい日々だったと語る。

 

チタン面金の開発は未知の領域だけに困難を極めたが、決して諦めることはなかった。そしてついに地元三条独自の鏡面研磨技術まで施した8個の試作品が完成。全国の剣道具関係業者への営業を開始する。すると、かなり高価だったにも関わらず、仕上がりの良さに目をつけたいくつもの業者が採用してくれた。「しかし、それに満足することはありませんでした。矢継ぎ早に軽量で強度の高いジュラルミン素材を探し出して面金を制作し、供給を開始したのです」。軽量かつ耐久性に優れる新素材の面金は、瞬く間に日本中の剣道界に新風を吹き込み席巻。その後、難易度の高い技術力と金型による大量生産方法を確立することで、真和工業は武道具製造における地位を確固たるものにした。ちなみに今日、半世紀前には13社あった面金を製造する企業は、真和工業を含め3社しかないのだという。
「現在は全国シェア3〜4割(剣道の面金のみ)くらいです。年間3万個程度と最盛期1/5程度の生産数なのは、少子化による剣道人口の減少だけでなく、丈夫になって耐用年数が伸びたことも一因でしょう」。治司会長から引き継ぎ、真和工業を切盛りする長谷川暢彦(以下暢彦社長)は、現在の真和工業と面金の立ち位置について話してくれた。防具の中で最も安全性が求められる面金づくりの難しさについては「面金は剣士の命を守る砦。それだけに厳密な製造規定が定められており、大きな形状の変更は認められません。しかし、可能な限り独自のノウハウを詰め込んでいます。例えば部品のアーチ形状。面の縦中心に入る中金と横方向に入る横ひご、そして外周の台輪は、試行錯誤の実験から導き出されたもので、竹刀打突時の衝撃を吸収するようになっています」と語り、強いこだわりもみせる。

 

長谷川暢彦(はせがわ・のぶひこ)
昭和40年7月27日三条市生まれ。真和工業代表取締役。学生時代は野球、バレーボール、テニスを経験。2男1女(いずれも剣士)の父。夢は防具製造業界主催による剣道大会の開催。「剣道は異世代の人たち(親子3世代でも)出来る数少ない競技です。交流を存分に楽しんでもらいたいですね」

 

基本形状や素材がある程度煮詰まっているなか、さらなる品質向上の鍵として追求しているのは部品と技術の「精度」。暢彦社長が敷いたプレス、溶接、研磨、最終仕上げまでの全74工程一貫生産体制では、機械と手作業が半々くらいで、部品や工程ごとに厳しい品質管理が行われているのは言うまでもない。「精度の低い部品をある程度組み上がった段階で力を加えて調整すると、狙った強度や精度が出せなくなってしまいます。一つ一つの部品の段階においては1/100ミリレベル、そして均等な接合と研磨、後加工による美しい仕上げで、最終的には内部、外部ともに傷ゼロの精度を追求しています」。品質にこだわればこだわるほど、生産効率がなかなか上がらないのが悩みだとも漏らすが、万が一の事故でも起きてはならないものだけに真摯に受け止め、日々の作業に取り組んでいるという。「あたり前に剣道が出来ることを、面金を通して守り続けていくこと、極めていくことが、今の私たちの役割であると考えます」

 

 

部品を結合する「かしめ」作業。剣士の命を守るものだけに、正確な作業と強度が求められる

 

 

研磨作業は光沢を出すだけでなく、細かなキズのチェックも行い、安全性を限りなく100%に近づけていく

 

面金(めんがね) 研磨前(右)と研磨後(左)
面金の重量を比較すると、成人用のもので鉄製が600グラムに対しチタン製が350グラム前後、ジュラルミン製が300グラム弱。いずれも鉄製よりも強度が高く、耐久性に優れる

 

 

治司会長が築いた革新の面金は、暢彦社長の絶対的な安心感を与えようとする面金づくりに引き継がれた。そして工場の傍らには繁忙期を手伝う学校帰りの長男、碩亮君の姿が。日本発祥の剣道を、三条の技術と親子が支えていることを学ばせてもらった日。とても清々しい気持ちで工場を後にした。

 

 

真和工業株式会社
昭和59年創業。創業間もない頃は馬の蹄鉄やスコップやメガネフレーム、洋食器などのプレスや研磨を請け負っていたが、剣道の面金製造に乗り出してからは武道具に特化。空手の面、逮捕術の面、徒手格闘技の面、竹刀計測ゲージ、竹刀立て、柔道畳運搬車なども手掛ける。現在、生産数の8割はジュラルミン製。製造工程の難易度が高いチタン製は他社が追随出来ずシェアを独占している。

 

三条市の共栄館道場にて(20年3月撮影)。右、長男碩亮君。左、長女日奈子さん。碩亮君は4月、大阪体育大学に進学した

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