出会いが重なり、築いた礎。親心で見守る新潟のスポーツシーン  新潟市 サイトウスポーツ

バドミントン 2019/10/31
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text : mineaki kuramoto
倉元 峰明

新潟のラケットスポーツを長きにわたり見守り続け、競技団体や選手から今なお厚い信頼と支持を得る老舗スポーツ店「サイトウスポーツ」。そこにはお客様第一主義を貫きながら、新潟スポーツ界の発展のために奔走する親子二代の姿があった。

 

卓球選手として多くの県タイトル、国体出場、全日本ランキングシングル(軟式卓球)など輝かしい成績を残していた齋藤幸雄(現会長)が1960年に起こした卓球専門店は、創業3年目にして卓球と練習場をほぼ共にしているバドミントンに着目。以後、全国的にも珍しい2つのラケットスポーツ専門店へと発展していくが、その原動力となったのは「卓球選手だった私からは、形や飛ぶ軌道が華麗で格好よく見えていた」(齋藤幸雄会長)という、バドミントンのシャトルからだった。

 

新潟商業高校がバドミントンでインターハイ(全国総体)優勝をつかんだ年の秋。練習場に転がっていた、いつもとは異なる一つのシャトルを齋藤が見つけた。バドミントン部の主将から話を聞くと、「これから私たちが使っていく新しいシャトルになるだろう」と言う。今までの同じ陸鳥(ニワトリ)の羽根でできたシャトルと比べ、とても素晴らしい出来栄えだったため、興味を持った齋藤が入手経路を尋ねると、偶然にも主将の家業がこのシャトルの原毛を卸しているというではないか。「すぐさま卸先である山形市のシャトル製造メーカーを紹介してもらい、二日後にはサンプルを取り寄せセールスに出かけていた」(齋藤会長)

 

その後、インターハイ全国制覇の学校が使うシャトルならばと、新潟市内の高校、県内の有力校へと販路が広がっていった。そうしてサイトウスポーツはバドミントン専門店としても地位を確立していくことになるのだが、今日の礎を築けたのは、一人の経営者との出会いが最も大きかったと齋藤会長は目を細める。その一人の経営者とは、米山ラケット社長、米山稔氏(現ヨネックス株式会社名誉会長)。メーカーと販売店それぞれの立場でスポーツ界をもり立てていこうと固く誓ったことは、お互い新潟出身で郷土思いという縁も重なり、今も深く心に刻まれ、日々の励みにもなっているという。

 

「シャトルの時も、米山名誉会長との出会いの時もそうですが、お客様とのご縁と信頼関係があって今が成り立っていることを忘れてはいけません。私たちにできることは何かと模索しながら、今後も新潟のスポーツを見守っていきたい」(齋藤武社長)。その思いを胸に、現在は新潟支部バドミントン協会と新潟市卓球連盟、二つの競技団体事務局業務も請け負っている。いずれも年から年間続いているライフワークだ。大会出場申し込み受け付けなどではダンボール箱が何箱も店内を占領、情報の整理と管理は毎回神経を使い困難を極める。しかし、嫌々やっているのではない。関係者に喜ばれ、運営の一助になっていることを考えれば、スタッフのモチベーション向上にもなっているという。「大会に参加する人が多いことは大変喜ばしいこと。競技人口が多いほど、地域スポーツの活性化に違いが出てきます。トップ選手だけでなく、初めてのスポーツにどれだけ寄り添うことができるかが、今後も課題です」(齋藤社長)

 

創業から年。多くの指導者と選手を見続けてきた。そして今の立場だからこそ、競技に携わる人たちに贈ることができるエールがある。

 

「やっている競技を大好きになってほしい。大好きだからこそ、楽しくできるし苦しくてもやり抜くことができる。勝ちたい気持ちになれる」(齋藤会長)

 

「バドミントンに関しては、日本でトップになれれば世界のトップになれる可能性があるということ。無駄な根性論はなくなってきましたが、とても厳しく、苦しいでしょう。それでも力を付け、技を磨いて取り組んでほしい。結果は後から付いてくると思います」(齋藤社長)

 

照れながらほほ笑む二人。新潟スポーツに携わる人々への親心を垣間見ることができた瞬間だ。

 

 

Profile プロショップ サイトウスポーツ

1960年4月、現会長齋藤幸雄が卓球専門店として創業。現在は社長の齋藤武が指揮を執り、10人余りのスタッフと共にラケットスポーツをはじめとしたスポーツ全般を取り扱う。地元の指導者、選手には憩いの場として親しまれ、新潟を巣立ってからも、里帰りの際には第二の故郷として立ち寄ることがあるという。

 

 

(Standard新潟 2019年8-9月号掲載)

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