野澤引退―本誌に語った熱い思いを再び

アルビレックス 2019/12/19
引退の会見も終始にこやか。サポーター、報道陣にいつもの笑顔を振りまいた
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編集者

2019年12月19日、野澤洋輔がいつもの笑顔を振りまきながらグローブを置いた。

 

Jリーグにデビューした18年前。5,000人を超すオレンジの波に包まれた時と同じ、新潟市陸上競技場を引退会見の場に選んだ。

 

引退会見当日、「ここが自分の原点」と新潟市陸上競技場を見渡し感慨にふける。2001年3月24日土曜日、J2リーグ第3節、対モンテディオ山形戦。18年前にこの場所で迎えたホーム初戦は1-1の引き分けだった

 

 

 

「正直、まだ現役でやりたい気持ちはある。続けてもらいたいと思っているサポーターの方もたくさんいる。でも、お祭りにして引退できるのもこのタイミングかな、と。それに新潟に戻ってきて1年で出て(移籍して)いくのも、寂しいなと思った」

「(アルビレックス新潟は自分を)夢中にさせてくれたもの。あれだけ無我夢中になれて、新潟県民が一つの目標に向かっていくことができた、かけがえのないもの」

 

日本での通算出場試合数は、J1リーグ75試合、J2リーグ219試合、カップ戦18試合、天皇杯11試合、合計323試合。うちアルビレックス新潟で189試合に出場した。シンガポールでの公式戦出場は合計125試合。

 

プロ生活22年で448試合を闘い抜いたアスリートに敬意を表して、2019年2月10日発売のStandard新潟2-3月号で行った特別インタビューをここに再掲載する。

 

 

 

 

最新開幕直前特集

アルビレックス新潟2019シーズン

復活の魂 野澤洋輔 

 

 

 

 

「夢だった」。GK野澤洋輔は11年ぶりの新潟への復帰をそう表現した。03年のJ1昇格決定時、J1参戦当初と新潟が勢いづいていた時期に「顔」として君臨したレジェンド。今季はチーム最年長、そして新潟魂を体現できるベテランとして、夢にまで見た新潟のユニホームをまとい、かつてと同じ背番号「21」を背負って躍動する。

 

 

 

4万人の声援―夢の舞台

やれる「自信」を「確信」に変える

 

 

 

―高知キャンプを経て、2月24日に開幕を迎えます。

「まずキャンプで体づくりをしっかりやって備えます。十分動くようになったら、日本人選手のプレーに合わせて、慣らしていかないと。Jリーグの選手の方が、シンガポールの選手よりクオリティーが高いので。自分自身も質を上げなければならない。すべてにおいて感覚を戻さないといけない。ただ、逆に言うと、やれる自信があるのでそう考えることができる。その自信を確信に変えて開幕に臨まないと」

―自主トレにはいつから取り組んでいたのですか。

「11月下旬から、横浜の日産スタジアムの近くでやっていました。シンガポールのシーズンは10月上旬には終わったので、自然とスタートは早くなりました。まだJリーグはシーズン中だけど、久々に日本でプレーするので天然芝や新潟の寒さと、いろいろ違いがありますから。準備もしておかなければならなかった」

―新潟でチームメートと接して何か感じたことは。

「おとなしいかな(笑)。雰囲気はいい。みんなが会話している風景を見ると。でも、昇格するチームをつくるには、さらに一体感が必要だし、個性の強い選手の活躍が必要。そういうところに火をつけられたら」

 

 

 

―練習初日のあいさつで、チームメートに伝えたことは。

「パッと見て、『ブラジル人選手と若手が多いな』と。『ブラジル人選手の活躍があって、若手が頑張って、そこでベテランと融合して、そうしてアルビレックスは愛されるチームになった』と。そういう話をしました。まあ、みんなで頑張っていこう、ということですけどね」

―チームメートの反応は。

「今のチームにとって、俺は選手としては『初めまして』だし、チーム最年長だしね…。俺が若かったときは、遠慮しなかったけどね。山口素弘、上野優作。そういった人たちにもかみついていったから(笑)。今の選手は真面目、いい意味で。そういうことができないと思う。だからこっちから雰囲気を出して、接していこうと思っています」

―GK陣の雰囲気は明るいのでは。

「俺が笑顔にしたのでね(笑)。みんなおとなしいから。GKはあの面々でやっていかなければならないから、いい刺激を与え合っていきたいです」

―ベテラン選手たちと話は。

「最初は世間話程度から入って。ズミ(小川佳純)と話すのは初めてだけど、タッちゃん(田中達也)には昔(浦和在籍時)、よく決められたし、オールスターで一緒のチームになったこともあるし。(矢野)貴章は言うことないでしょう。11年ぶりに戻ってきても、彼らが自然に受け入れてくれたので、いい雰囲気で入れました」

 

 

 

―開幕が近づいている中、あらためて整理した部分はありますか。

「一選手としてピッチに立つことを考えています。その中で自分の立ち位置とすれば、いろいろな立場からいろいろな人に接していければいいかな。プロ生活22年目のベテランとしての立場、昔の新潟を知る選手としての立場、1人のゴールキーパーとして…。いろいろな立場から選手、サポーター、スタッフに接して一つにつなげたいと思います。それが、夢であるビッグスワンを4万人で埋めることにつながると思います。J1は自分たちの力で行けるかもしれないけど、昔のような4万人の観客席にするのは、すぐにできるとは思えない。ただ、昔を知っている自分としては、新潟にそういうパワーはあると思っているので。もう1回、取り戻したいです」

―2003年に昇格を決めたチームはどういう特徴がありましたか。

「勝手にみんながそれぞれ目立って(笑)。サポーターもアルビレックスを応援しようというだけでなく、『俺は船越が好きだ』『俺は山口だ』『俺は安英学だ』って。すぐに思い出せるような選手ばかり。プレーの特長もキャラの特長もあった。そこをサポーターが見てくれて、アルビレックスは大きくなっていった。今の選手もそれぞれ野望があると思うけど、だったら、『今いるチームで目立とう』と。『結果を出そう』と」

―個人として結果を出し、そういう立場を意識してチームをまとめる。

「試合に絡んでいる連中は黙っていても、きっちりやる。ただ、ピッチには11人しか立てないのでね。それ以外の選手や、シーズン中に少し気になる選手がいたら、試合に出ている、出ていないにかかわらず話をしたい。やる気を引き出すというかね。そういうことをすることで、みんなで目標を追えるチームになると思います」

―そういう気持ちは新潟を出てから培われたものですか。

「そうですね。(08年を最後に)新潟を出てからは、どのチームでも年長組だったので。シンガポールでの4年は若い選手ばかり。15、16歳離れて、一番上に俺(笑)。若い選手は浮き沈みが大きいし、感受性も豊か。『どういう話をすればいいのかな』と考えて話していました。それがいい経験になりました」

 

 

 

―それにしても、11年経って戻ってくるというのは、なかなかないです。

「ないですね。シンガポールを離れて、もう1度Jリーグに、という思いはあったけど、やはり年齢的な問題もある。新潟に戻るという話をもらったときは信じられなかった。『思い』を超えて『夢』だったんだなって、その時に分かった。若いシンガポールの選手には『可能性がある限りやり続けろ、カテゴリーがどこであろうとプレーしろ。辞めたらそこで終わりだから』と言い続けていた。実際、自分にそれが起きて。シンガポールに行って良かったし、4年続けられたことが今につながった。だからなおさら、若手には言おうと思っています」

―これまで引退を考えたことは。

「松本で契約満了になった14年に、1度決断しました。トライアウトを受けても声はかからなかったので。お世話になった人たちに電話しました。『引退を決めました』と。そうしたらシンガポールから電話がかかってきた。当時の奥山(達之)監督(現新潟レディース監督)から『こっちでやってみないか』って。その後に是永社長からも話をいただいて、『やります』と即決。それがクリスマスの朝。サンタクロースはなんというプレゼントをしてくれたんだって(笑)。アルビレックスに縁があるチームだったのもうれしかったです。『国は違っても、アルビレックスのエンブレムをつけてプレーできる。うれしいな』と。松本で膝をケガして、それが徐々に良くなってからは、もっとやりたいと思っていたので、そこから自分のプレーの幅も広がったと思っています」

 

 

 

サポーターが新潟を好きにさせてくれた

 

 

 

 

―なぜ、アルビレックスが好きなのですか。

「最初に新潟に移籍してきたときは右も左もわからず、『日本にこんな寒いところがあるんだ』と思い(笑)。でも、なぜ好きか、と聞かれたら、それは俺が好きになったのではなく、サポーターが好きにさせてくれた。声援、市陸(新潟市陸上競技場)での試合から始まりビッグスワンでやるようになって、あの雰囲気。すべてサポーターが与えてくれました」

―いろいろなシーンを見てきましたね。

「歴史をね。特に良いときの歴史が多いかもしれないけど」

―今年は16年前とは違う状況で昇格を目指すことになります。

「良いときのイメージしか、俺には残っていないのでね。今は雰囲気を自分たちでつくり出すことが大切。いろいろな人がチームは昔とは変わったよ、と言うけど、だったら、自分たちでつくろうぜ、とみんなに言っていきたい。サポーターはアルビレックスが好きだし、アルビレックス新潟のことを思って働いたり、動いてくれる人もたくさんいる。『だったら、選手も自分のチームを好きになってもらいたいな』と」

―そこは重要ですね。

「昔は4万人のサポーターがいるから新潟に来た、という選手もいた。サポーターだけじゃなく、選手にも選ばれるチームにならないと。そういう気持ちでシーズンをやっていこうと思います

 

 

 

profile 野澤洋輔(のざわ・ようすけ)◉1979年(昭54)11月9日生まれ、静岡県出身。日大三島高から98年に清水に加入。00年に新潟に移籍し、01年から正GKに。03年にJ2リーグ44試合フル出場し、優勝とJ1昇格決定に貢献した。04年から06年までオールスターに出場。09年に湘南、12年に松本へ移籍。15年からアルビレックス新潟シンガポールに所属し、16年からリー

グ戦3連覇に貢献した。18年はキャリア初のベストイレブンに選出された。180cm、75kg。

 

(「Standard新潟」2019年2-3月号掲載)

 

 

2020年1月1日付けでアルビレックス新潟の営業部に配属。早速、引退会見に詰めかけたサポーター一人一人に名刺を配った。これからはスーツを着て「4万人」目指す

 

 

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