早起き野球の試合開始は5時30分。仕事の都合をつけ、体のコンデションを整え、早起きをする。1試合1試合、1年1年、そうやって積み上げた54回連続出場。「好きだから、続けられた」と笑う久保田は心から野球を愛する鉄人であった。日焼けした浅黒い顔は野球好きの勲章だ。
今年、54回目を迎える新潟市早起き野球大会は、5月19日から、132チームが参加して、熱戦を繰り広げている。1981年16回大会の944チームには遠く及ばないが、現在でも日本一の規模を誇る大会だ。この大会、第1回から54回連続出場している男がいる。久保田吉汎だ。
久保田は、附船町(新潟市中央区)に生まれ、舟栄中から新潟南高校に進んだ。入舟小時代から、遊びといえば野球の少年時代を過ごしたが、本格的に野球を始めたのは、新潟南高からになる。
高校時代は、内野手。ベンチ入りを目指して猛烈に練習をした。高校3年夏の大会は、準決勝で小千谷高校に延長10回サヨナラで敗れた。
高校を卒業して、新潟県米穀株式会社(現在の新潟ケンベイ)に入社した。
「このころのケンベイは、社内野球大会が活発。野球が盛んな時代でした。高校野球経験者だった私は、入社すると間もなく会社のチーム(県米クラブ)に所属させられました。新潟商野球部OBも所属している強いチームでした」
県米クラブは、66年の第1回早起き野球大会に出場、翌年、第3位になっている。久保田は、転勤などもあったが、野球好きに寛容な会社のおかげもあって出場を重ね、35歳ころからは、兼任監督を務めた。野球漬けの毎日だった。
「営業職で出張ばかりしていましたから、平日は仕事で家にいない。休日は野球で家にいない―そんな生活でした。私は野球が好きなので、苦になりませんが、家族には申し訳ないことをしたと思っています。
87年ころから、早起き野球には、濁川野球クラブで出場するようになった。
「40歳になると、壮年の部に登録できます。地元の濁川野球クラブから誘われていたので、活動の軸を地元に移しました」
監督、プレーヤーとしてだけでなく、久保田は、30歳になる前から審判員としても野球に関わっている。
「審判員をやっていると、ルールに精通するので、勉強になります。2001年天皇賜杯全日本軟式野球大会(新潟開催)の開幕戦で主審を務めたのが良い思い出です」
久保田が現在所属する濁川野球クラブは、18人の選手と1人のスコアラーがいる。選手の平均年齢は55歳。58歳のトップバッターが出塁して、すかさず盗塁。50歳の2番バッターが空振りでアシストする―本格的でソツのない野球をするチームだ。スタメン最高齢は9番を打つ68歳。もちろん久保田が出場することもある。
試合前日の夜、監督の久保田が好きな酒を控えて心を砕くのは、全員が好きな打順、好きなポジションで楽しくやることができて、さらに勝てるオーダーを組むこと。
「みんな好きでやっているのだから、楽しくやることが第一。さらに勝てば最高」
選手として54回連続出場は、久保田の他に「豆九クラブ」の米山芳男さんがいる。米山さんは選手として最高齢(82歳)の出場になる。「豆九クラブ」はチームとしても54回連続出場。他にも「ウォッチーズ」、「佐渡汽船」、久保田の所属した「新潟ケンベイ」も連続出場を続けている。
「朝のさわやかな空気の中、大好きな野球ができる。こんなにいいことはありません。いつまでもみんなと楽しみたい」
久保田は日焼けした顔をほころばせた。
濁川野球クラブには18人の選手とスコアラーがいる。壮年の部には出場36回。優勝実績もある古豪だ。
「なるべく多くの人に試合を楽しんでもらいたい」から、最近は自ら試合に出ることはあまりない。練習はきっちりやるが、サポートに回ることの方が多い
Profile 久保田吉汎(くぼた・よしひろ) ◉1946年(昭和21)10月、新潟市中央区生まれ。入舟小、舟栄中から新潟南高を卒業。新潟県米穀株式会社(現在の新潟ケンベイ)入社。2000年取締役、09年に退任。現在は、北信越軟式野球連盟事務局長、新潟県野球連盟常任理事、新潟県軟式野球競技強化総括責任者、新潟市野球連盟理事長、新潟市早起き野球大会実行委員会理事長を務める。
(「Standard新潟」2019年6・7月号)